懐かし故郷 (1970年代)

gura

こんばんは、ぐらです。

今回は、わたしが20年前に書いた「1970年代の思い出エッセイ」を載せたいと思います。

この前まで書いていた、SDGsの取り組みの中に、1970年代後半くらいの暮らしがちょうど水準として良いとありました。

SDGsはアリバイ工作であるということ
私たちがエコバッグで買い物にいこうが、ゴミの分別をいくら頑張ってしようが、いくら政府や企業がSDGsの行動をいくつかなぞろうが、それだけでは気候変動は止められないそうなのです。もちろん個々のエコ活動が無駄なのではありません。当然できる人ができることをすることが大切です。でも、それだけではもうこの人新世の時代を抜本的に解決する方法にはならないのです。

1970年代の暮らしが、このエッセイとリンクしますので,少しの間その時代にタイムスリップしてもらえたら嬉しいです。

では、ちびまる子ちゃんになったつもりでどうぞ。。。

第一 宝物            

少女の頃、確かに心の中を占領していた美しい宝物があった。

きっとそれは、その年頃ならあたりまえに憧れるであろうビーズ(歌手ではなく・・)やリボン、 レースの飾りといった色とりどりの”こまごました物”だったと思っていた。

しかし、色褪せはじめた過去のページを開いていくうちに、もっと素晴らしい宝物があったことを思い出してきた。

第二     畑           

 私が生まれ育った家は名古屋近郊の繊維と七夕で有名な町にある。

幼い頃、よく母が「以前はこの辺りもほとんど建物がなくて遠くまでよく見えたんだよ」 と言っていたが、その頃でも充分田舎で家の三方が畑だった。

今では、あちらこちらにマンションや立派な家が立ち並び、畑といえば 左隣にだいぶ切り売りされた畑がこじんまりあるだけになってしまった。

第三     魔法          

その頃、畑には朝早くから5,60歳くらいのご夫婦が来ては土を耕したり、育った作物が倒れないように支柱を立てたりとせわしなく働いていた。

 畑の脇には今では珍しくなった?肥溜めがあり(たまに慌てた子供がはまる)それをまいたあと2,3日は臭いに閉口した。が、、そのお陰か見た感じではそう肥えた土壌でもなさそうなのに次々と作物が実ってよくお裾分けも頂いた。

第四     童謡

 実はそこに美しいものが溢れていた。

私が特に好きだったのは、冷たく張り詰めていた空気が幾分か和らぎ暖かくなってきた薄明かりの夜。

黄色い菜の花が月の光に照らされ、ますます金色に輝き、そよ風に 揺れてどこからともなくかすかに春の甘いの薫りが漂っている。

・・・そんな光景を見たとき、今にもかぐや姫にでも会えそうな気がして立尽くした。

それと同時に岡野貞一だったか「♪菜のは~な畑ぇに入ぃり~日薄れ~」の名曲、朧月夜を作った人はすごい!!と心の底から感動したのだった。

第五     芋の葉   

 芋(里芋)の葉と云えば、うちわの様に大きくて広く、少し中心が窪んでいる形から、よく傘にされたりお面にされたりするのだが、私はその葉っぱの中にたまる水滴がたまらなく好きだった。

今でも、宝石のような高価なものには関心がないが、この時もこれ以上美しいのものはないと思った。

確か葉が茂っていたのは梅雨明けの頃で、立ち昇る蒸気を感じながら、スカッと晴れ渡った青空とみずみずしい日差し、少しの砂粒を含んだその宝石が滑らかな葉の表面を滑り落ちるのを厭きもせず眺めていた。

第六     花           

私の独断と偏見から言えば花と言っても大きく2つに分かれると思う。

ひとつはバラやパンジーなど普通、花屋さんで売られているはなやかな華。 もうひとつは蓮華草やスミレなど道端に咲いている花。

野菜の花は後者だが、どうもギャグに走っている。葱坊主など、その典型で、豆の花も相当可笑しい。 当たり前のことだけれど、あのナスが花を咲かせることがとても意外に思えたし、人参の花はとても愛らしかった。

第七     近所          

大体、普段は家から内径500mぐらいで遊んだ。

ハラハラしながら?人の垣根の木苺や山吹の花を摘んだのも、川口探検隊の隊長になり、道に飛び出して車にぶつかったのも、工事中の砂山に登って 友達と自分たちで作った歌(キャンディズの”春一番”に似ていた・・)を大声で歌ったのも れんげを編んだり、基地を作ったり、砂場でお金を拾ったりしたのもここだ。

思いっきり遊んで、お腹を空かせて、少し切なくなって、友達の顔がオレンジ色になって、空一面がオレンジ色に染まって “あぁーあ、何で一日ってこんなに短いんだろう”って思えたあの頃・・あの充実感も宝物?

第八     溝川   

“どぶ”と言えばザリガニ取りのメッカだ。一括りにザリガニと言っても奥が深い。 体の大きさやはさみの形などで見分けるらしいが結局、習得できなかった。 食べられるかどうかも話題になったし”○○君が食べたら海老みたいに美味しかったと言っていた”と言ううわさも聞いた。

こんな生き物も棲む”どぶ”だが、偶に水面に七色の膜が張っている時があった。 石鹸水によるものか、はたまた油か知れないが迂闊にも、とても綺麗で、得した気分になった私っていったい・・付け加えれば、ザリガニと一緒に捕獲したかえるの卵は何とも云えない雰囲気を持っている・・・

第九     田植え         

何年生の頃か覚えがないが幾度か親戚の田んぼに家族で田植えの手伝いに行ったことがある。

道路脇の竹薮の中をずんずんずんずん入っていくと、目の前に一面に水を張った広々とした田んぼが広がっていた。

好奇心で、わくわくしながら、裸足になり、泥の中に足を突っ込むと、ぬるぬるグニュニュ・・くすぐったいような気持ちがいいような感じ。

おたまじゃくしが、忙しそうに行き来し、たまにタニシが顔を出す。油断をするとすぐに腹ごしらえしによって来る吸血妖怪ヒルにもひるまず、「大きくなってね。」と心の中で思いながら夢中で一本一本泥の中に挿してゆくのは、至福のひとときだ (でもこれは遊び半分でやっているから云えることなのだろうな。)

腰を伸ばして一面に敷かれた緑色の絨毯を目にした時の 感動は忘れないだろう。あの青々とした竹の匂いと一緒に・・・

第十     蛍          

子供時代の私にとっては蛍は幻の生物(ポケモン?)だった。なかなかヘイそれとお目に罹れず、まだクワガタの方が どれだけ身近に感じたことか。

ある日、母の会社の友人で、ボーイスカウトをしてる人から、私達は蛍見物ツアー (と言ってもその人と母と弟と私の4人だが)に招待された。蛍を生で見たことなどなかったから、もう天にも昇らんほど嬉しかった。

車で2時間ほど、山道を走り続けて着いた所は民家の外れの割と大きな川の土手だった。早速、弟と一緒に暗くなった道に駆出しながら、目で暗闇を追った。 始めはなかなか分らなかった。そのうち水の流れの辺りに緑色にボーっと浮かんでは消える光を見つけた。それに答えるかのように、木の茂みの辺りや、橋の下やいたる所で青く細く線を引きながら飛び交う蛍を見た。ただただ美しかった。

こちらに来てからは、割と手軽に蛍を観賞できるので、有り難味が薄れたが、それでも夏が始まる前の風物詩としてこれを見ないことには落ち着かないのだ。

第十一     七夕祭り       

待ちに待った夏休み。一宮市に住んでいる者の一大イベント行事といったら”七夕祭り”だ。もうこれの素晴らしいことと言ったら ・・

まずは夜店が軒を連ねる真清田神社で、りんご飴や綿飴、威勢のいいイカ焼き屋のお兄ちゃんの店を横目で見ながら漫ろ歩く。

次にアーケードを開け放った商店街に目をやれば、頭上高くに設えられた、からくり舞台。(織姫に彦星、その年どしに人気のあった キャラクターがくるくると頭上で廻っている)が50歩ほど歩くたびに次々に登場する。その他の頭上空間を埋めるのは、まるで派手な巨大ダコを吊るしたような七夕飾り。(ちょっと表現が悪いかも・・)金色、銀色、赤や青、緑の煌くような幾つもの帯が夜風にさやさやと揺れていた。

そして見上げれば、空には満点の星と心地よい風に揺れる笹の葉飾り、この喜びを味わうために私たちは一週間近く毎日、浴衣に自転車とゆういでたちで20分かけて通うのだった。

第十二      星  

それは突然の出来事だった。急に星が恐ろしく思えてきたのだ。と言うより一生夜道は歩けないと思えるほどの強迫観念に駆られた。

どうしても夜、外に出なくてはいけない時は、アスファルトをじっと見詰めたまま、決して顔を上げないようにした。

今思えば、何故そんなことになったのかは実に不思議で原因はよくわからないのです。その頃に家にあった「星・宇宙大百科」の本を読んだことなのか、または学校の授業で習ったときに何かが引っかかったのか。

ひょっとしたら、 果てしなく広い宇宙のページをめくるとでてくる、太陽系惑星やアンドロメダ星雲、不気味なガスの塊のM16、ブラックホールなどのあまりのスケールの大きさに、自分の存在があまりに小さく感じ、怖気付いたのかもしれませんね。

また違う意味で怖さを感じたのが、ほうき星(彗星)の存在でした。その図鑑には”魔女の箒とも呼ばれるこれが姿を現すと、飢饉や自然災害などが起きると恐れられていた”と言う記述があり、空を飛ぶ魔女の絵が添えられていました。小学生の私には、魔女にさらわれるのではないかという恐怖心もきっとあったと思います。でも、この恐怖は1週間も続かなかったのです。

第十三     セミ

子供の頃は季節の移り変わりを肌で感じることが出来ました。風鈴の涼やかな音色、網戸から吹き込む一陣の風、わらび餅売りのよく透る声。 でもなんと言っても夏の楽しみは蚊帳とセミの羽化でした。

何を隠そう私の父は、脱皮寸前のセミ捕獲のプロでした。夜になると私たちを連れて車でちょっとの 距離の”穴場”へ出かけるのです。懐中電灯で地面を照らしながら土に、細い棒切れをあてがいながら探すのですが、私や弟は目を皿のようにして探しても一匹も見つけられないのです。そのうちに父が5,6匹もって現れ、それを家に持って帰ります。帰ると、それを蚊帳の側面に貼り付け、夜通しセミが羽化するのを観察するのです。

羽化したばかりの、あの透き通る美しい羽は何度見ても感動ものでした。 しかし朝になり”ジィ~ジィ~”とうるさく鳴かれるのには絶えられないので、目覚めるとすぐ外に放り出していましたが。

…これは余談ですが、蚊帳の上で眠ってみたいと思った事はありませんか?私はみんなが寝ている真夜中にそれを実践したので、真夜中に蚊帳が潰れて非難轟々でした。それ以来蚊帳は出してもらえなくなりました。 チャンチャン。

第十四     路          

家の前の道が、いつ頃からアスファルトに舗装されたかは覚えていないのですが、車一台がやっと通れるほどの狭い道でした。したがってそこに住んでいる人達の他はめったに車も通らないのです。なので、そこは子供たちの使いたい放題の道でした。チョークで案山子を書いてケンケンをしたり、電柱に輪ゴムを長く繋げたのを結びつけ、 ゴム跳びをしたり、ドッチボールや竹馬やおはじきなどをして遊びました。

そんな中でも一番印象に残っているのは、上級生のお兄さん達が時折開いていた(今で言う)フリーマーケットです。 お小遣いが無くなった時の手段だったんだと思いますが。色々な物が並んでいました。その頃はやっていた野球チームのバッチとかカード、読み終えた本、 帽子、変わったところでは蛇も… これが思うより繁盛していたのです。おまけしてくれて売り方が上手いのもありましたが、上級生に対する憧れがそうさせたのかもしれません。とにかく下級生はなんでも真似したがるのです。

そして、その後の行動が天晴れでした。下級生をみんなひきつれて駄菓子屋に行き、売上をすべて花火に換え、それから盛大に花火大会をするのです。 自分達だけでは普段怖くて出来ない打ち上げ花火も見事にやってのける上級生に皆尊敬の眼差しを送るのでした。

第十五     十五夜        

私は今でもお月見が季節の行事の中で一番好きです。日本の情緒いっぱいのロマンチックな日だと思うのです。夏のお祭り騒ぎも終わり、庭では虫たちが涼やかな歌声を聞かせてくれる頃 に私はよく母に頼まれて友達と一緒に近くの川辺までススキを探しにいきました。

持って帰ると、母が知合いの家からもらってきた淡い紫色の萩の花と一緒に 大きな花瓶に生けてくれます。そして傍には山のように盛られた里芋、サツマイモ、お団子。 それらをお月様が一番よく見える窓辺のテーブルに置きます。それからは何度も何度もお月様が食べに来てくれてるか私はその部屋に偵察にいきます。 最後にはそこにお布団を持ってきて夜通し待ってる時もありました。お月様が食べる筈のお芋を幾つも食べながら…

第十六     栗拾い

これは楽しいです。人生の醍醐味です。柿の木がたわわに実をつけている山道に差し掛かると目的地はもうすぐ。 栗拾いにはいつも岐阜の山奥に行ってたんですが、そこに行くとまず栗ご飯のチケットと拾った栗を入れる籠を貰います。そして指定された山に入り、あの見ているだけでも痛そうなイガを見つけては、その中か栗を取り出すのです。

まずは叔父さんについて栗拾い開始。棒や足を使ってイガの中からクルリン栗の実を取り出します。これがいざ取り出されても結構虫食いのも多いので一苦労。 どうにか籠が一杯になると、七輪のあるテーブルに移動します。さっきもらった券をおばちゃんのところに持っていくと、あとでそこで栽培した肉厚のしいたけとアツアツの栗ご飯をもってきてくれます。七輪の上で、取ってきた栗としいたけをのせ,よ~く焼いて生姜醤油で食べるのは、格別の美味しさでした。秋特有の天高く抜けるような空と澄んだ空気もきっと最高のスパイスになってたんですよね。

第十七    木枯らし        

稲刈りが済んだ田んぼには、竹を巧みに組んだ竿に藁が規則正しく干されていました。稲が全て刈り取られ、当たり一面がらんとしてる割には、どことなく充実感が漲り詰まった感じがする風景でした。こんな思いを抱くのは,きっと子供心に、大地の恵の暖かさと農家の方達の誠実な日々の仕事に心が満たされたからなのかもしれません。

ところで一年の仕事を終えた田んぼは子供たちの絶好の遊び場でした。 缶けり、泥巡、鬼ごっこ。いつものように遊んでいると、いつのまにか子犬が一匹ついて来る。捨て犬です。抱きかかえて飼ってもらえる家を探して歩いても、なかなか見つかりません。仕方なく藁と板で犬小屋をこさえてその日は心配しながら帰りました。翌日にめでたく子犬の引き取り先が決まった時にはその人が神様に思えてとても嬉しかったことを覚えています。

第十八     雪やこんこん     

この辺りは岐阜に近いせいか、息吹山から吹く風「息吹おろし」のせいでとても寒いのです。 しかし雪が降る事はほとんど無く、せいぜい積もっても2月に2,3日残る位の量が降るだけしか降りません。なので、雪が降るその日がとってもとっても待ち遠しい。 朝、母が「今日は雪が積もったよ~」と云おうもんなら、いくらお寝坊なわたし達姉弟でも、ガバッと飛び起きて窓の所に走って行きました。(何回か引っ掛かったこともあったけど…)

すぐに着替えて、雪だまを作って雪合戦したり、雪だるまやかまくら(稀に)作ったりしました。 でもこれってまあ、ありきたり。私がして面白かったことナンバーワンは、かき氷屋さん。何か作って食べてもらうことに快感を覚えていた当時の私は、横着にも勉強部屋の窓のところで、夏に余ったかき氷シロップを使って、「雪」でかき氷屋さんをしていました。もちろん氷はお客さんにコップ渡して庭から雪を取ってきてもらって。結構好評だったんですが、後日雪はあまり綺麗じゃないと聞き、ちょっと心配になったりしました。気付くの遅い(笑) 

これは、以前に作成したHPに載せていたものです。つたない代物ですが、懐かしいので載せてみました。

読んでいただきありがとうございました😊

今年の中秋の名月はいつ?
お月見の楽しみ方やお団子の供え方、おすすめのお団子などをご紹介します。中秋の名月のあとは後の名月。二回のお月見を同じ場所で眺めるのがおすすめ!