SDGsと目指すべき社会

gura

こんばんは、ぐらです。

昨日は大型スーパーに買い物に行きました。

私は雑貨店を見るのが好きで、何軒もはしごして店内を眺めて楽しんでいます。

可愛らしい雑貨がたくさん並ぶ中から、お気に入りのものを選ぶのはとても満たされる時間です。

豊かな資本主義の恩恵だと思います。

しかしながら、現在のような大量のエネルギーと資源を浪費する帝国的生活様式は持続可能ではないのだということを前回まで学習してきました。

大量生産、大量消費、大量廃棄がマストの今までの生活を省み、一部の大株主の意向が、最優先に反映される企業の意思決定プロセスから、労働者や地球にやさしい新たな「開放的技術」をコモンとして発展させることについてこれから考えてゆきたいと思います。

自然の循環とは

まず人間はもともと、自然に働きかけ様々なものを摂取し、排出するという絶えずある循環の中でしか、この地球上で生きていくことができないのです。

そういえば、私の子供時代には、近所のお百姓さんが肥溜めを竿で運んできて畑に撒いておられました。

これも1970年代の頃なので、この本でいうところの生活レベルの目安となる年代です。

そんな光景も今は全く目にすることのないですね。

懐かし故郷 (1970年代)
少女の頃、確かに心の中を占領していた美しい宝物があった。 きっとそれは、その年頃ならあたりまえに憧れるであろうビーズ(歌手ではなく・・)やリボン、 レースの飾りといった色とりどりの"こまごました物"だったと思っていた。 しかし、色褪せはじめた過去のページを開いていくうちにもっと素晴らしい宝物が あったことを思い出してきた。

現代では地産地消を推奨されますが、その土地でとれた食物を摂取し、そこにまた返す、このことが土地に土壌養分を循環し、再生を促すことになるのです。

このような自然の循環過程を、マルクスは「自然的物質代謝」と呼び、この絶えざる循環の中でしか地球上で生きていくことができないというのです。

ところが資本主義が発展して、都市と農村の間で分業が進むと、農村で収穫された穀物は、都市の労働者向けに販売されるようになっていく。

そうすると、都市で消費される穀物に吸収された土壌養分は元の土壌に戻ってくることがない。

都市の労働者たちが摂取し、消費した後は水洗トイレで河川に流されてしまうから。

こうして土壌の養分循環に「亀裂」が生じ、土壌に養分が還元されることなく、一方的に失われ、土壌は疲弊していく。

このように短期的な利潤を得るために、持続可能性を犠牲にする不合理な農業経営をリービッヒは略奪農業と呼んで批判し、ヨーロッパ文明崩壊の危機として警鐘を鳴らしたのです。

共同体としてのゲルマン民族

また晩年のマルクスが共同体研究に熱中したのが古代ゲルマン民族の共同体です。

ゲルマン民族は、土地を共同で所有し、生産方法にも強い規制をかけ、共同体においては、土地を共同体の構成員以外に売ったりするなど、もってのほかであったといいます。

土地の売買だけではなく、木材、豚、ワインなども共同体の外に出すことも禁じられていて、そのような強い共同体的規則に規制によって、土壌養分の循環は維持され、持続可能な農業が実現していました。

そして長期的には、地力の上昇さえもたらしていたというのです。

土壌から養分を取り去って収穫した穀物を大都市で販売して儲けを出そうとする資本主義的農業経営とは全く対照的なのです。

「持続可能性」と「社会的平等」は密接に関連している。このことについてマルクスは研究を進めるのです。

ゲルマン民族は土地を共有物として扱い、土地は、誰のものでもなかった。だから、自然からの恩恵によって、一部の人が得をしないように、平等な土地の割り振りを行っていたそうなのです。

富の独占を防ぐことで、構成員の間に支配、従属関係が生じないように。同時に、土地は誰のものでもなかったが故に、所有者による好き勝手な乱用から守られ、そのことが土地の持続可能性を担保することにもなっていたのです。

第三の道 コモン(地域コミュニティーの再生)

では、今後私たちが進むべき未来の方向性はというと、資本主義そのものに対しては毅然とした態度で挑み、労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、その上に自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる

そのためにはアメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第3の道」としてのコモン(地域コミュニティーの再生)を目指すことなのだそうです。

また二酸化炭素削減を目標としていますが、世界共通の生活基準として、最低限の生活を維持するために、どの国においてもまず水や電力、住居、医療、教育といったものを安全に供給できるシステム作りは不可欠です。

そしてそれらを公共財として、自分たちで民主主義的に管理するのです。

また人間らしい労働を取り戻すため、画一的な分業をやめ、経済成長のための効率化は最優先事項でなく、利益よりも、やりがいや助け合いが優先される社会にする。

そして労働者の活動の幅を多様化し、作業分担の平等なローテーションや地域貢献などを重視すれば、これも経済活動の原則をもたらす。

そのような働き方改革を実行するためには労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。

それがピケティーも要求している「社会的所有」である、と。

これこそ、歯車として個を消すような社会参加ではなく、皆が生き甲斐を感じられる生き方ではないでしょうか。

そして地域のコミニュケーションもいまより活発になり、現代特有の孤独感も無くなるかもしれません。

まとめ

この本を読んで私が理解した事は下記の通りです。

  • SDGsの取り組みは、ただの気休めに過ぎず、資本主義の成長を低下させることのみが、環境を改善する唯一の方法なのであることを理解する。
  • 帝国的生活様式を営む1%〜20%の人間がまず生活レベルを見直し、1970年代後半へ引き戻すよう努力する。
  • 帝国的生活様式を維持するために、他の国の環境を侵すことも、労働力を搾取することも改めなければならない。
  • 一握りの人間が残り99%の労働力を使い利益を追求する資本主義はもはや新しいコモン的社会に変換する必要がある。

それぞれが納得し,しっくりいくまでは試行錯誤が必要です。日々模索することが問題を解決に向かわせる唯一の方法です。環境問題をはじめ、人任せにせずにひとりひとりが自分の問題として考え抜いていきたいですね。

なんだか中途半端な終わり方ですが,今後も何回もこの本を読んで、理解を深めていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました😊

目指せ循環型社会
SDGsが叫ばれる中、現在のような環境破壊につながる大量生産、大量廃棄を食い止めようとすると、まずは第二次産業(鉱業、建設業、製造業、電気,ガスなど)の縮小が行われるものと思われます。そのかわりに必要となる職業は職人や専門家です。
哲学者が営むパン屋さん『タルマーリ』
サクセスストーリーとしても経済書や哲学書、おまけに天然酵母パンの指南書、お店の開き方、環境問題、経営学、SDGSの面でもとても参考になるのです。
SDGsはアリバイ工作であるということ
私たちがエコバッグで買い物にいこうが、ゴミの分別をいくら頑張ってしようが、いくら政府や企業がSDGsの行動をいくつかなぞろうが、それだけでは気候変動は止められないそうなのです。もちろん個々のエコ活動が無駄なのではありません。当然できる人ができることをすることが大切です。でも、それだけではもうこの人新世の時代を抜本的に解決する方法にはならないのです。

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