こんにちは、ぐらです。
金木犀の匂いがどこからか漂ってくる季節になりました。
今回は2021年の新書大賞第一位をとった『人新世の「資本論」』という斉藤幸平さんが書かれた本を読んで学んだことや感想などを書いてゆきたいと思います。
前々からSDGsについて学びたいと思っていたのですが、この本の書き出しはこんなセンセーショナルなものでした。
SDGsはアリバイ工作である
著者は「かつて,マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。
SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。」という。
以前にもこのブログで
「レジ袋有料化から一年後は?」
「脱炭酸と自動運転の未来」
などのテーマで環境問題について私なりに考えてきました。
しかし、レジ袋を断ってマイバックを利用したり,ペットボトル飲料を買う代わりにマイボトルを持ちあるいたりすることは真に必要とされている現実から目を逸らし、良心の呵責から逃れる免罪符となっていると著者はいうのです。
私たちがエコバッグで買い物にいこうが、ゴミの分別をいくら頑張ってしようが、いくら政府や企業がSDGsの行動をいくつかなぞろうが、それだけでは気候変動は止められないそうなのです。
もちろん個々のエコ活動が無駄なのではありません。
当然できる人ができることをすることが大切です。
でも、それだけではもうこの人新世の時代を抜本的に解決する方法にはならないのです。
生産力を無理に上げようとすることは、地球環境からの掠奪になってしまう。
それだけではない。
自然が持つ回復能力をも破壊してしまう。
そのような資本主義を正当化し、継続はできないという考えに晩年のマルクスは至ります。
経済成長しない循環型の定常型経済
これこそが、持続可能で、平等な人間と自然の物質代謝を存続していくための唯一の方法なのだと。
資源を搾取する者
まず、知らなければならないのは、問題の二酸化炭素を多く排出しているのは先進国の富裕層で、とくに世界の富裕層トップ10%が二酸化炭素の約半分を排出しているという現実です。
富裕層というと自家用ジェットやスポーツカーを乗り回す富豪を思い浮かべますが、実は日本人の多くがここに含まれているらしいのです。
確かに家の中には100均一中心に物で溢れ、買い物に行っても、とくになにも欲しいものが浮かばず、外食はバイキングやコース料理などいつでも・どこでも・なんでも好きなものが好きなだけ食べれらる恵まれた環境の私たちです。
一年中、空調の効いた快適な部屋で、テレビやパソコン、ゲームをして過ごし、行きたいところがあれば家族分所有している車でどこへでもいける。
しかし私たちが当たり前にしている日常の生活が、そのまま世界の当たり前ということではないのです。
この快適な生活を存続可能なレベルまで変えていこうとする時、変化の目安としては、生活のレベルを1970年代後半まで戻す必要があるということなのです。
1975年頃といえば、テレビアニメ「フランダースの犬」が放映され、初めてローソンが設立。明治製菓が「きのこの山」を発売した年です。
海外旅行に行くのは稀で、暑さを凌ぐのは扇風機やうちわが主流の時代でした。その頃と現在を比較すると空港利用数はほぼ20倍に増えています。
もし今の生活をその時代に戻すとすれば、ニューヨークで三日間過ごすためだけに飛行機に乗ることはできないし、解禁の日に空輸したボジョレーヌーボーを飲むこともできなくなるけれども、地球の平均気温が3度上がり、フランスのワインが生産不可能になり、永遠に飲めなくなるよりもマシでしょ、と著者は言います。
国家レベルでの取り組み
こうした生活レベルを落とす未来のビジョンは、なかなか政治的な選択肢にならない事は明らかで、我慢を強いる政策は国民からの反発が目に見えていますし、まず企業が許さないでしょう。
しかし困難だからといって、その事実から目を背けて選挙に勝つために受け入れられやすい安易な政策に固執するのは、それがどれだけ善意に基づいていても現実逃避であり、これまで以上にわれわれの帝国的生活様式を強化し、周辺の国からの搾取と抑圧を生むことになり、近い将来に私たちもその報いを受けることになるのです。
グローバル・サウスとは
グローバル・サウスとは、グローバル化によって被害を受ける領域、ならびにその住民を示しますが、資本主義による利益追求を行なったために、環境破壊と同時に問題になっているのが、先進国による途上国からの資源や労働力の搾取なのです。
旧来の南北問題も含め、先進国における豊かな生活の裏側では、様々な悲劇が繰り返されてきた現実があり,資本主義の矛盾がグローバルサウスに凝縮されているのです。
あっちゃんのYouTube大学でも先日取り上げられていたバングラデシュにある、某ファスト・ファッションの縫製工場が入った商業ビルが2013年に崩壊し、1000人以上が犠牲になる痛ましい事故があったのですが,そのほかにもイギリスのBP社が引き起こしたメキシコ湾原油流出事故や多国籍アグリビジネスが乱開発を進めるアマゾン熱帯雨林での火災、商船三井が運行する貨物線のモーリシャス沖重油流出事故など枚挙に暇がないと著者はいいます。
これらの事故は単なる不運な出来事などだろうか。いやそうではない。事故が起こる危険性は専門家や労働者住民たちによって繰り返し指摘されてきたにもかかわらず国や企業はコストカットを優先して有効な対策を取らず放置してきたのである。
そして,犠牲者が増えるほど,大企業の収益は上がる。これらは起こるべくして起きた人災なのだ、と。
不都合な真実として、この人災に私たち日本人も間違いなく加担してきたのです。
欲しいものをいつでも手軽に安価で手に入れたいと思うこと。このことが知らない誰かに犠牲を強いていること、この現実にわたしたちはまず向き合わなくてはならないのです。
人新世とは
つぎに「人新世」ですが、これは人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいために地質学的にみて、地球は新たな年代に突入したということを表すことばです。
産業革命以降の資本主義による利潤獲得競争が過熱しすぎたために環境破壊や富の一極集中が起き、すぐにでも行動に移していかなければ環境破壊はますます進み、リカバリー不能な地球になってしまうのです。
たとえばガソリン車を全て電気自動車へと移行する計画がありますが、まず原料となる物質的には限界があるわけで効率化がいくら進んでも半分の原料で自動車を作れるようになるわけではありません。
動力となるリチウムイオンの製造にはさまざまなレアメタルが大量に使用されていて、そのリチウム電池の多くはアンデス山脈沿いの地域に埋まっているリチウムを使っていて、乾燥した地域で長い時間をかけて地下水として濃縮され、その地下からリチウムを含んだ間水を組み上げたのち、その水を蒸発させることでリチウムが採取されるそうです。
その時汲み上げる地下水の量が1秒あたり1700リットルにも及ぶ為、アンデス山脈の生態系に大きな影響を与えているのです。
先進国の気候変動の対策のためにグローバル・サウスでよりいっそう激しく採掘収奪されるようになっているのに過ぎない現実も、空間的転換によって不可視化されてしまうのです。
問題はもっと根深い。
結論としてこれまでの経済成長を支えてきた大量生産、大量消費そのものを抜本的に見直さなくてはならないのです。
SDGsの取り組みとの矛盾
この罠を避けるためには、車の所有を自立と結びつけるような消費文化と手を切り、物の消費量そのものを減らしていかなければならないと著者は言います。
新技術の力を使うためにも、資本主義そのものに大きなメスを入れる必要がある。
当然、二酸化炭素削減に向けて太陽光発電や電気自動車に切り替えていく必要はあり、公共交通機関の拡充と無償化、自転車道の整備、太陽光パネルの付いた公営住宅の建設にも大胆な財政出動をして、鳥瞰した対策でエコ活動を推進していかなければならない。
だがそれだけでは足りない。
逆説的に聞こえるかもしれないが、グリーン・ニューディールが本当に目指すべきは、破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである、と。
今日はここまでです。次回は資本主義の本質とコミュニズムの到来についてまとめていきますので、またご覧ください。
お疲れ様でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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