こんにちは、ぐらです。昨日は「SDGsが本来目指すべき論点から逸れ、アリバイ作りに終始している現状」について説明してきました。
今回は、このまま資本主義社会を継続した場合,二酸化炭素の1.5倍の削減は不可能であり、99%の人間の生活がいつまでも幸福を感じる方向には進む事は無いだろうと言う点について、この本を手がかりに進めて行きたいと思います。
明日は我が身という発想
私たちがこの時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。
それでは、時間稼ぎはできても、地球は1つしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。
今のところは所得の面で世界のトップ10〜20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。
だがこの先、このままの生活を続ければグローバルな環境危機がさらに悪化する。
トップ1%の中超富裕層にしか今のような生活は保障されないだろう。
他者を切り捨てる前に、他者の立場に立ち、明日は我が身だと言うことを想像してほしい。
最終的に自分自身が生き延びるためにも、より公正で持続可能な社会を施行する必要があるのだ。
それが最終的には人類全体の生存確率も高めることになる。
と著者は言います。それ故、生存の鍵となるのは「平等」である、と。
ブレーキが効かない資本主義
「資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のためにさらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。
そしてその過程では環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間から収奪を行ってきた。
この過程はマルクスが言うように「際限のない」運動である。
利潤を増やすための経済成長を決して止めることができないのが資本主義の本質なのだ。
その際資本は手段を選ばない。
気候変動などの環境危機が深刻化することさえも資本主義にとっては利潤獲得のチャンスになる。
山火事が増えれば火災保険が売れる。
バッタが増えれば農薬が売れる。
その副作用が地球を蝕むとしても、資本家にとってのつぎの投機材料となる。
いわゆる三次便乗型資本主義だ。
このように危険が増えても環境が悪化して苦しむ人々が増えても資本主義は最後の最後まであらゆる状況に適応する強靭性を発揮しながら利潤獲得の機会を見出していく。
環境危機を前にしても資本主義は自ら止まりはしないのだ、と。
だからこのままいけば資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい人類が生きられない状況に環境になってしまう。
それが「人新世」という時代の執着点である。ということだ。
大量生産と大量廃棄の現状
私は卒業後、大手電機メーカーの部品営業の仕事をしていました。
夫はサービスマンとして電化製品の修理をしており、その時代、テレビやオーディオ、洗濯機、冷蔵庫、エアコンなど様々な電化製品は日進月歩でどんどん技術が向上し、品質を刷新したりマイナーチェンジしたりとそれぞれの電化製品で毎年新しい機種が発売されていきました。
新しい商品を持っていることがステータスの時代で、車も、電化製品も次々に買い替えられていました。
この頃は新しい商品が出てくることにワクワクし、それを手に入れることに喜びを感じる時代でした。
しかし商品が多機能になり製造が複雑化する中で、故障した際に以前ならば小さな部品をいくつか変えるだけで修理できていたものが、その複雑さゆえに高価なコントロールパネルや電子基盤を一式ごそっと変えなければならなくなっていきました。
なので、修理をするよりも買い替えを勧めるようになり、その頃は家電リサイクル法もなかったために、積極的買い替えが進み、古い商品は次々と捨てられる運命をたどりました。
これこそが資本主義の弊害なのです。
環境のことを省みる事なく、購買意欲をそそり、次々と商品を販売し、利潤を追求する。
高価な買い物であるはずの家にしてもモデルルームに見学に行き、担当者から説明を聞くと、家の耐用年数は通常20年〜30年程だと説明があり,その短さに驚いたことがあります。
電化製品も耐用年数がほぼ10年です。パソコンや携帯電話などは大体5年と言われています。
共用部品があるうちは修理の対象になりますが,その後はもはや買い換えるしか手段はありません。
このつぎからつぎに新商品を発売し,無限の経済成長を目指す資本主義を今私たちの手で止めなければついには人類の歴史は終わってしまうということなのです。
幸せを感じられない社会
また、これ以外にも資本主義が私たちに及ぼしている悪影響があります。
著者はいいます。資本主義が既にこれほど発達しているのに先進国で暮らす大多数の人々が依然として貧しいのはおかしくないのだろうか,と。
家賃・携帯電話代・交通費と飲み代を払ったら給料はあっという間になくなる。
必死に食費、服代や交際費を切り詰める。それでも生活を維持するギリギリの低賃金で学生ローンや住宅ローンを抱えて毎日真面目に働いている。
一体あとどれぐらい経済成長すれば人々は豊かになるのだろうか。
経済成長を目指して痛みを伴う構造改革や量的緩和を行いながら労働分配率は低下し、格差は拡大し続けているではないか。
そして経済成長はいつまで自然を犠牲にし続けるのだろうか。
資本主義にとって成長できない状態ほど最悪なものはない。
資本主義のもとで成長が止まった場合企業はよりいっそう必死になって利益を上げようとする。
労働者の賃金を下げたりリストラ、非正規雇用化を進めて経費削減を断行したりする。
国内では階級的分断が拡張するだろうし、グローバルサウスからの略奪も激しさを増していく。
実際、中国の新疆ウイグル自治区に住むイスラム教少数民族に強制労働させていると国際人権団体が報告し、世界的な不買運動も起きた。
しかし、21年にイギリスで開催されたG7サミットで、国際サプライチェーンにおける強制労働の根絶が表明されても日本は制裁に加わらなかった。
また、日本社会では労働分配率は低下し貧富の格差はますます広がっている。
ブラック企業のような労働問題も深刻化している。
そしてパイが小さくなり、安定した仕事も減っていく中で、人々は何とか自分だけは生き残ろうと競争激化させていく。
「上級国民、下級国民」と言う言葉が流行語になったことからもわかるように社会的な分断が人々の心を傷つけている。
環境破壊と企業責任
商品の大量生産、大量廃棄の問題は企業側の問題だ。
これからは売る側がその後のリサイクルシステムのことまできちんと計算して販売する責任を負わなければならないのだと私は思います。
企業は利益追求のために経費の削減や人件費の削減についてはとことん知恵を絞るが、環境への配慮まで考慮しないのだ。
したがって、環境問題に取り組むときに国がまず国民に対し義務を強いるのは順序が間違っている。
まずは企業側が努力するべきことだと思う。
リサイクルの仕組みや環境への配慮をしっかり固めたうえで、それにかかる必要経費を消費者が負担するというのが、本来の国民の義務だ。
同時に安さを闇雲に求める思考をまず改め、その背景にある工程や他者の生活にまで思いを馳せる心のゆとりも必要だろう。
適正価格でなければ、どこかにきっと無理が生じている。
企業側がコスト開示をすることが今後は企業の信頼に繋がるだろう。
また製造するものが本当に必要な商品なのか、必要なサービスなのかと言う点もきちんと考えなければ,ただ地球を汚すことに加担することになる。
これらにきちんと向き合ってから、ようやく製造段階に入るべきなのだ。
現在のような消費主義とは手を切って人々の繁栄にとってより必要なものの生産へと切り替え、同時に自己抑制していくこれが「人新世」においてのコミュニズムなのだ。
私も最近になって株式投資をはじめ、個別株をいくつか持っているので、その株価の増減については非常に興味を持って見守ってきたが、その株からの利益を得るために、途上国の生産に携わっている方たちや、安価で労働力を買われている人たちの幸福を考えずにいた。
それに加えゴミの増大による環境破壊の問題もある。
いままでは資本主義が台頭しているうちは、日々株価の増減があったとしても、長期で見れば上昇傾向にあるのだろうと楽観的な見方をしていた。
しかしこの経済の仕組みを根本から見直さなければならないことに気づかされたいまは、株価が下落して資本主義に変わる新しいシステムが台頭してくる未来も見てみたい気がしている。
利潤最大化と経済成長を無限に追い求める仕組みの資本主義ではとても地球環境は守れない。
人間も自然もどちらも資本主義は収奪の対象にしてしまう。
その上、人工的希少性によって資本主義は多くの人々を困窮させるのである。
それよりも減速した経済社会をもたらす脱成長コミュニズムの方が人間の欲求を満たしながら環境問題に配慮する余地を拡大することができる。と、著者は脱成長コミュニズムに期待を寄せる。誰も取り残さない世界。それこそがSDGsの理念だ。
著者はこの本でバルセロナ市政の取り組みを紹介されていた。
2020年1月に発表されたバルセロナの気候非常事態宣言では、2050年までの脱炭素と言う数値目標をしっかりと掲げ、数10ページに及ぶ分析と行動計画を備えたマニフェストを作成したそうだ。
市民が作成したこの行動計画には方格包括的でかつ具体的な項目が240以上にも及ぶ二酸化炭素排出量削減のために都市公共空間の緑化電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充。
自動車や飛行機船舶の制限エネルギー、貧困の解消、ゴミの削減リサイクルなど、全面的な改革プランが盛り込まれている。
資本主義が引き起こしている問題を、いままでの資本主義という根本原因を温存したままで解決することなどできない。
解決の道を切り開くには気候変動の原因である資本主義そのものを徹底的に批判する必要がある。
しかも希少性を生み出しながら利潤獲得を行う資本主義こそが私たちの生活に欠乏をもたらしている。
資本主義によって解体されてしまったコモンを再建する脱成長コミュニズムの方がより人間的で潤沢な暮らしを可能にしてくれるはずなのだ。
ただそうは言っても、私たちは資本主義とこれを牛耳る1%の超富裕層に立ち向かうのだからエコバックやマイボトルを持ち歩くというような簡単な話ではない。
困難な戦いになるのは間違いない。
そんなうまくいくかどうかもわからない計画のために99%の人たちを動かすなんて到底無理だと尻込みしてしまうかもしれない。
しかしここに3.5%という数字がある。
何の数字かわかるだろうか。
ハーバード大学の政治学者の研究によると3.5%の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるのだという。
フィリピンのマルコス独裁を打倒したピープルパワー革命は3.5%の非暴力の民衆によって行われた。
ニューヨークのウォール街船橋運動もバルセロナ強座り込みも最初は少人数で始まったグレタ・トゥーンベリーの学校ストライキなどをたった1人だ。
これまで私たちが無関心だったせいで1%の富裕層エリート層が好き勝手にルールを変えて自分たちの価値観に合わせて社会の仕組みや理解を作り上げてしまったけれども、そろそろはっきりとノーを突きつける時が来たのだ。
その動きが今後大きなうねりとなれば、資本の力は制限され民主主義は刷新され脱炭素社会も実現されるに違いない。
YouTube大学の中田敦彦さんもおっしゃっていました。「あなたたちは世界を変えることしかできないのだ」と。
そう、「私たちは世界を変えることができるのです。」
この本の著者は言います。本書はその未来に向けた一筋の光を探り当てるために資本について徹底的に分析した「人新世」の資本論である、と。
もちろんその未来は本書を読んであなたが3.5%の1人として加わる決断をするかどうかにかかっている、と。
私たちがこれから行動すべきことはなんなのか,常に自分の頭で考えながら、誰もが幸福を感じられる世界を目指して出来ることをコツコツと取り組んでいきたいですね。
お疲れ様でした。
つぎは資本主義が変わるべき「コモン」について学んでいきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
価格:1,122円 |